第27回 2002年7月版
わしが作っとるんじゃ 今回のわし!
みかん栽培
中浜 勇さん
わし顔写真

写真  広島県因島と接する越智郡弓削島でみかんや八朔、甘夏などを作っている中浜勇さんは明治44年生まれの91歳。元気な高齢者が多いと言っても90歳を超えて農業をしている人はそうはいないでしょう。

 では、中浜さんの1日を紹介します。
 毎朝4時に起床。そしてラジオ体操をして中浜さんの1日が始まります。ラジオ体操は22歳から毎朝欠かさず続けているそうです。「エブリデイ、毎日、毎日」と笑っていました。
 朝食はパンと卵とコップ2杯の牛乳。卵は自分で焼いて食べます。「食事の支度に1時間。食べるのに30分かかる」と話していました。6時に家を出て、畑まで約2キロの行程をゆっくり歩いて行きます。片道1時間かかります。「とにかくベリースローじゃけん。ゆっくり。ゆっくり」。

写真 写真 畑に着きました。「ここまで来るのがひとつの運動」と中浜さん。みかん畑からは海が見え、まわりは緑に囲まれ環境抜群です。また、畑にキジが巣を作っていることもあったそうです。20アールある園地でみかんの樹の剪定、摘果、草とりなどが主な仕事。収穫時だけは、子供さんに手伝ってもらいますが、日頃の管理はすべて中浜さんひとりがしています。

写真  取材当日、ノコとハサミを腰につけた中浜さんの剪定の様子を写真に撮らせていただきました。「いつものようにお願いします」と中浜さんに声をかけ、カメラの準備をすること数分。ほんの少し目を離した途端に中浜さんの姿が…見当たりません。「まさか」と思ったのですが、何と中浜さんは、みかんの樹に登っているではありませんか。いつも脚立やはしごを使ってみかんの樹に上って作業しているそうです。「いつものように」と言ったのがいけなかったのでしょうか。何かあっては大変です。とにかく早く写真を撮ってみかんの樹から降りてきてもらおうと思い、私もみかんの樹に登りました。「大丈夫ですか?」とこちらが言おうとしたとき、「大丈夫?落ちられんよ」と反対に気遣ってもらいました。

写真 みかん畑の作業を10時半頃までに終え、また歩いて家まで帰ります。
 10年前に奥さんが亡くなってからひとり暮らしが続いていますが、すぐ近くに子供さんが住んでいて、昼と晩は食事を作って持ってきてくれます。
 中浜さんが丹精して作るみかんは、JAへの出荷以外に子供さんや親戚などの家へ送ります。荷造りはすべて中浜さん本人がするそうです。「送ってやるんが楽しみ」とみかん作りに生きがいを感じています。

 中浜さんは、今まで病気などで入院したことは一度もありません。とてもお元気です。そこで長生きの秘訣を聞きました。「別にないが、規則正しい生活を送ることかね」とおっしゃっていました。
 “規則正しい生活”ですが、「朝のラジオ体操」や「畑まで往復4キロの歩き」「畑での農作業」だけではありません。一番驚いたのが63歳から毎日続けている50回の腕立て伏せです。風呂のお湯を入れている時間に浴槽に手をついて腕立て伏せをするそうです。また、入れ歯が一本もないのには本当にビックリしました。

写真 中浜さんが農業を始めたのは63歳から。それまでは外国航路の大型貨物船の船長。地元の弓削商船(当時)を卒業後、62歳まで船に乗っていました。「南極と南米の一部の国以外はほとんど行った。好きな国は、オーストラリア。世界のユートピアですな」と話していました。
 「なるほど」。…これで、わかりました。中浜さんと話をしていると、会話の中にエブリデイやベリースローなど横文字が多く出てきます。それもそのはず、外国航路の船長だったのですね。英語が話せないと仕事になりません。また、スペイン語も独学で覚えたそうです。

 少しお腰が曲がっていて、歩くのは確かにベリースローですが、みかん作りにかける思いは人一倍強い中浜さん。30年前に南米で買ったオウムの「ロリタ」も中浜さんの作るみかんが大好物。中浜さんと「ロリタ」が、ピッタリ寄り添う姿はなんとも微笑ましい状景でした。


写真説明(上から)
●いつも畑へ行くときのスタイルです。(右)
●手前の畑の奥にみかん園があります。手押し車は道端へ置いておきます。ここからみかん園までは、杖をついて歩いて行きます。(左)
●かすんでわかりにくいのですが、園地から見た海です。(右)
●みかんの樹の上で剪定作業をする中浜さん。目は真剣です。また、少し緊張しています。(右)
●みかん園から帰る中浜さん。手押し車がないと歩くのはつらいようです。 (左)
●中浜さんと相棒のオウムの「ロリタ」。好物は中浜さんの作るみかんです。(右)
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2002年6月号はこちらからどうぞ


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