相談室

奇門遁甲等に関する困りごとにお答えします。

困りごと1 テレビで奇蹟をおこす遁甲、風水術の技をみてたまらず講義を受けたが嘘だった。
お金を返してもらったら北条の真伝を学びたい。
困りごと2 ネット鑑定を受けたら次々入金、入会勧めがあって内容もバラバラ、これって正しいんでしょうか。
困りごと3 本物の風水師を自認する人にみてもらったが悪くなる一方でアフターケアにも応じてもらえなかった。
本物か否かを見分ける検証法を教えてほしい。
困りごと4 最近の公刊書には実例のないものが多くて勉強できません。
これって当たり前のことでしょうか?
困りごと5 徳間書店刊を愛用しているが巻末の付録暦がないので困っている。作ってもらえないだろうか?
困りごと6 ある六壬サイトでちゃんとした風水師と紹介しているのに云ってることとやってることが違うので解釈に困っている。
困りごと7 都内の占い師さんの鑑定料が高くて困っています。適正相場はあるでしょうか、また、鑑定業やるには都心に事務所を構えなくては駄目でしょうか?
困りごと8 鑑定業もタレントさんみたいに芸能事務所に所属すれば問題ありませんか?
困りごと9 移転や日常の移動等で活用したいのですが書籍での修学は難しいので、鑑定(方位)をしていただけないでしょうか
困りごと10 困りごと3の文中にあるような当たる理論だけを取捨選択して抽出なんてできるの
困りごと11 ウィキぺディアの奇門遁甲に標準的な原典は遁甲演義とありますが本当ですか

困りごと12007/01/09

テレビで奇蹟をおこす遁甲、風水術の技をみてたまらず講義を受けたが嘘だった。
お金を返してもらったら北条の真伝を学びたい。

回答

その人物についての苦情相談は多いです。

まず、問題を整理しましょう。

ポイントはそのテレビの内容がやらせか否かですから、こういう場合はテレビ局に内容証明で確認をとることです。

おそらく最終的に制作会社からの回答になるでしょうが、そこで「事実です」と明文化された回答がくればそれを保管しておき、裏がとれなかったらそれを根拠に講義料等の返還を主催者に申し出ることです。

その場合は、テレビ局の責任問題にもなりますので、一人二人のうちなら比較的容易に応じてもらえると思います。

しかし、いずれ全体に波及するようになるとまずあなたの手元に返ることはありませんのでその意思がおありなら早めに着手されることです。

まあ、私見でいうとあれは百パーセントやらせであり得ないことです。

その証拠に、過去にも易者占い師さん達がテレビ等に出演したりしていましたが、誰一人結果と結びつけた宣伝ものはなかった筈です。

これは、奥ゆかしいのではなく犯罪のボーダーラインを超えないモラルからで通常はテレビ局等から待ったがかかるものなのです。

Q41で内藤文穏がインタビューを受けて困惑したのもやらせなしだったがゆえのことです。

だから、やらせをしていればインタビュアーはこうなるものです。

「いやあ、よく当たってます、私しか知らないことがずばずばきますね、驚きました」

これだけならテレビ演出ですみますがこれを信じて鑑定客が殺到し、高額代金を徴収となるとここから即犯罪と変わるわけです。

勿論、やらせなしなら何等、問題はありませんがそんな人ならその前にテレビ等でこんな危ない演出をする必要がないのです。

ゆえに、コパさんとか細木さんでもせいぜい占うところまでです。

ところが、この場合は虚偽の演出で占い結果をでっちあげてるわけですから、百パーセント返還の対象といえるでしょう。

とにかく、当方のQ&Aさえ精読していたら、少なくともこのようなことにはならなかったと思うとお気の毒というしかありません。

しかも、このような易者、占い師さん達の鑑定や講習を受けたらたちどころに数十万、数百万かかった上に何も残らないのですから泣きっ面に蜂です。

十年、二十年継続したら一体、いくらの経費になっているでしょうか?帳簿つけたらその違いが歴然です。

対して、当方は易者占い師ではありませんし、また何年経っても一つのジャンルについて数十万を超えることはありません。

そんなわけですから、真伝修学についても、まずはこの点に留意してから検討してみてください。


困りごと22007/01/22

ネット鑑定を受けたら次々入金、入会勧めがあって内容もバラバラ、これって正しいんでしょうか。

回答

携帯電話のサイトやネットでの鑑定は大半が自動プログラムによる一種のおみくじで当然、そのなかに遁甲なり推命なりのノウハウもありませんし、類型回答も限られたものです。

これらの主催者の目的は一回数百円という薄利で多売することにあるわけで裾野が広い分、収益が膨大な額になることもある為、多くの易者占い師さんたちが使っております。

しかし、上述のようにお賽銭感覚で入金入会するならともかく正しい結果、指導を得る手段としてなら何の根拠もなく、無意味でどぶにお金を捨てるようなものですから取り止めたほうがよいでしょう。

ネットの最大の問題点は商品内容や実績等もノーチェックで店を出せるフリーマーケットということにあります。

Q&A 49にも書いた通り、遁甲等による占法も通常はある程度の研究キャリアを積んだ者でなければ指導レベルには到達しませんから大半は二十代前半からそれなりの実績を残しているものですが、困ったことにネットだとこれらを確認することができません。

ということは、悪意をもった者が単に金品を得る目的の為に利用しようとすれば、すべて嘘でも通用してしまうという危惧があるのがネットビジネスです。

たとえばあなたが全くの素人、門外漢でもネットではキャリア豊富な原書研究家として通用し、素人さんを騙して商売することができるのです。

方法は簡単で、パソコンが使える人なら数種の古典の写真をデジカメで羅列掲載し、その解説文をあたかも自分が書いているかのごとくデフォルメしながら丸写しするだけで検証の手立てを持たない人たちにとってはあなたは一夜にして研究歴数十年の「センセイ」と評されるのです。

でも、格闘技じゃありませんが全くの素養無しの素人が通用するのはここまでで、いざ、リングに上がれば開始のゴングが鳴り終わるまでに一切は終わります。

原書研究家と標榜していた人物の通信教育を受けた人が蓋をあけたら中身が全く無く、何を訊いても判らず、ごく初歩的な内容さえ知らなかったことに驚き、怒り嘆いておりましたがこれなどまさにそれです。

ですから、こういう手口で始めても中身が伴わなければ却って被る痛手は甚大となるだけなのです。

最近、民放テレビの番組で納豆によるダイエット番組のデータ捏造事件が発覚しましたがこれなども本質的にはQ&A50で申し上げた「やらせ」と同じもので構造腐敗そのものです。

今回の場合は特定の納豆屋に依頼されて番組制作したわけじゃなく、あくまで局のノルマに拠るものだったことが唯一の救いですが、一歩間違えば非常に危険な要素を孕んでいるといえます。

それは、どこかの企業の商品を売りたいと思ったらでっちあげの情報操作をして番組を作ればいいという前例になりかねないからです。

TVの影響は甚大ですから視聴者を踊らせ、収益を上げる企業という図式が定着すると、これは最早、風説の流布で株価を吊り上げる証券取引法違反と何等変わらない詐欺になってしまいます。

ネット鑑定(自動プログラムによる)は嘘のおみくじで、その先に誘う撒き餌に過ぎませんが、虚業家の問題点はその先も、またその先もどこまでいってもたまねぎの皮のように実態のない鑑定、講習で肩すかしを食わせることにあります。

そして、自らの納豆に値するものを売るために、上記のような「捏造、やらせ」番組を通して実態のない高額講習へと向かわせる収益システムがあるとなれば由々しきことですし、おそらくこのテレビ局だけの問題ではないと思います。

とにかくこのような手口には留意して下さい。


困りごと32007/04/20

本物の風水師を自認する人にみてもらったが悪くなる一方でアフターケアにも応じてもらえなかった。
本物か否かを見分ける検証法を教えてほしい。

回答

ずいぶんひどい目に遭ったそうですがそもそも風水自体の定義からして間違っていると思います。
日本流にわかりやすくいうと風水とは地相のことで、更に深くいえば墓相のことです。
但し、巷間の墓石業者に一役かうものではなく、埋葬場所の地形の善し悪しをみる方法のことで、正式には堪與というものです。

ですから、同じく日本流にいうところの家相の類でもなく、部屋の模様替えや家具の配置換え、家屋のリフォーム、建替え等に該当はしませんし、効果などないのは云うまでもないことです。

前者の配置替え模様替え等をみる術は古来の中国の術には存在しませんし、勿論、奇門遁甲にもありません。
後者のリフォーム建替え、庭の増改築等についてのみ坐山盤の造作で吉凶をみるくらいです。

墓相(墓石関係)や印相(印鑑関係)が喧伝されだしたのは比較的最近の戦後のことで、それ以前にも書籍等はあったようですが少なくとも墓石や印鑑の材質、形状等との因果関係を謳うものではなかったはずです。

仰せの風水も、もともとは上記で述べた通りですから、現代においては非常に汎用度の低いものゆえ、実用には適さないものなのです。

中国(香港、台湾等)での活用例というのは本来の正しい定義に基づくものではなく、戦後の易者占い師たちの都合によって創作された新しい家相、地相術に拠るものであって、日本での風水ブームは更にそこから単にネーミングだけ採り入れて便乗した気学の亜流というのが本当のところです。

ですから、その内容たるや風水とはかけ離れた気学やら雑占の類のごった煮で開運法も単に家具や備品の配置換えに終始しているだけですから始末の悪いことこの上ありません。

しかし、何も知らない人たちを煙にまくには恰好の有り難味のあるネーミングゆえ、続々と風水師を看板にする占い師さんが増えたことは事実で、あなたが指導を受けた人物もその一人でしょう。

ただ、これだけは肝に銘じてほしいのですが、彼等は風水のことを何も知らないばかりか、その指導においても一切、何も考えてなどおらず、ただ単に目に入ったものを適当にあっちへ移せ、こっちへ移せといってるだけだということです。

どんな分野でも理念と大義名分の二つが必要です。
これら無くして行動を起こしてはいけません。

それは世の理だからで、これに反することは天道に逆らうことにほかなりません。

理念とは、政治家の公約みたいなものですし、企業でいえば何をやる会社なのかその明確な目的ですし、また、大義名分とはそれをやらなければならない必然性です。

だから、同一の理念を実施している先鞭者がいるなら、その傘下にならねばならない義務がありますし、一方、立つということはこれらが実施されていないときのみ許される権利といえるでしょう。

殷が夏を滅ぼしたのも、周武が殷を滅ぼしたのも悪政の為やむを得ず立ったわけで、もし善政であればただの謀反、反乱にしかならず決して許されるものではありません。

風水も同じこと、その汎用範囲が極めて狭く、現代においては実用上無意味に近いということは、ネーミングだけ拝借して定義にない判断をして商売をするということは理念、大義名分いずれも存在しないわけですからどんなに繁盛の見込み(商売側の)があったとしても、それを掲げたビジネスはしてはいけないのです。

どうしてもやりたければオリジナルの術としてやるべきです。

しかし、世の中には理念と大義名分をふまえない輩の何と多いことか、当初は原書研究家を標榜していた人物もそうで通信教育を受けた方がこの二つを詰問したやりとりをご紹介しますので参照してください。

受講者 何にも知らないようだが、何の為にやってるんだ古典の解釈なら出尽くしているし、あんたがやる必要はないだろう。
標榜者 当たる理論を数多くの古典から取捨選択して独自の理論を構築している。
自分の理論が一番正しいと思っている。
受講者 その理論を教えてもらう為に受けてるんだ何もないじゃないか 矛盾だらけじゃないか。
あんた、本当に研究できるのか、してるのか。
標榜者 自分が云いたいのは真伝とか秘伝とかは間違いでこういうのは原書をつぶさに研究するのが一番正しいということ、もっとお金を出せば構築した理論を教えてもいい。

結局、受講者はこれで切れて離れたわけですが、どうもその後、この原書研究を標榜している人物はあれだけ嫌っていた秘伝、真伝の類に走ったようだということを聞きました。

おそらく、もともと、理念も大義名分も何もなかった人物なのでしょう。

さて、話を戻しまして、奇門遁甲等は一応、「煙波」という原典がありますのでこれに照らして検証すれば主張者の理論が正しいか否かの判定がたちどころにできるように、「風水」の場合もこれらに値する原典なるものを明示してもらえばよいと思います。

そうすれば、家具や備品の移動のみで運気を変える記述がどこにあるのか、また、その他の術の記述もどこにあるのか検証することができます。

もし、「煙波」のように掲げることができないのなら後は推して知るべしですし、戦後の書物であった場合も同様です。

これによって風水が本物か否か、ひいては風水師の真偽もたちどころに判ると思います。


困りごと42007/07/23

最近の公刊書には実例のないものが多くて勉強できません。
これって当たり前のことでしょうか?

回答

占法書である限り、実例の掲載は不可欠です。

奇門遁甲であれ、風水であれ、占法書であれば前ふりの能書きと占い手順の説明と、そして最後にその手順を用いた実例の検証は必要不可欠な三点セットのようなものでノウハウ書の構成要件ですから間違っても肝心要の検証例がないなどということはありません。
だからもし無いとすればそれは故意に記載していないものと思います。

無掲載の事情のほどは仰せの内容だけでは計りかねますがおそらく構築した理論をお持ちでない著者ではないかと思います。

もっとも、そんな状態で本を出すこと自体問題ではありますが、それはさておき、こういう著者の場合は編集プロダクションが一切合財を引受ける百パーセントゴーストライター仕上げの本になります。

但し、如何せん彼らは編集のプロではあっても占法は素人ですから詳細な占い手順はもとより、検証を伴う整合性のある実例は解りませんから記述できませんし、仮に適当にでっち上げて掲載しようとしても一冊ならまだしも複数の刊行ともなるとそれらとの突き合わせで矛盾のないものに仕上げなければなりませんから土台無理なことは云うまでもありません。

それに、もし、そんな芸当ができる人なら編プロでゴーストなどやらなくても充分著者として通用するでしょう。

従って、著者が知らない以上、読者からの問い合わせにも両者対応できないことに鑑みて一切掲載しないであたりさわりのない象意の羅列や巷間のノウハウにとどめておこうとした結果というところでしょう。

勿論、普通の著者でもノウハウ部分以外については上記のような編集プロのアシストを受けることは多々ありますが、あくまでもそれはアシストですからいざ読者からの質問等になるとそこはそれ、いずれも著者自らが対応できますからまず、このような問題は起こりませんし、第一、構築された理論を保持している著者なら通常は前述した三点セットこそが自らの拠って立つ正当性を証明できる唯一の機会なのですからここを欠くことなどあり得ません。

唯、その著者は書物だけでしょうか、他に講義、セミナー等の類はおやりになられてるのでしょうか。
後者の著者ならそこで検証実例はなかったでしょうか。
もし、どこにもノウハウの披瀝も検証実例もないとしたらこれは由々しき問題と云わざるを得ません。

商売というのは商品があってそれを売買するものですがこれだと商品(中身) が存在しないのに金銭だけがやりとりされているということになってしまうからです。

お話によると複数の古典を研究された著者とのことですが既存の体系でも矛盾なくまとめるのは至難の業なのに未曾有の新体系をまとめるなどというのは相当の年月と力量が要求されるものです。

だから、もし、本当に構築した理論があるなら披瀝したくてうずうずするのが普通ですから書物を上梓した際にそれを掲載しないなんてことはありません。

ゆえに掲載しない理由があるとすれば、ひとつでも実例を出してしまうとそこでノウハウが固定されてしまい、二つ、三つと増えてゆくにつれて整合性がとれなくなって矛盾だらけになる危惧くらいのものでしょうが、そもそも謳っていることが事実ならリスクなどあろう筈がないのです。

ですから上記の通りか否か以下三点を著者に訊ねてみてください。

  1. 巷間のノウハウとの差異はありますか?
  2. あるなら新たな構築理論を示してくれますか?
  3. その理論を用いた実証例を挙げてくれますか?

一点でもノーなら推して知るべしですし、3の実証例に応じないとなれば論外で、著者自身が知らないところからは本であれセミナーであれ何ひとつ得られるものはありません。

修学するならここら辺を参考に検証してみてください。 


困りごと52007/12/21

徳間書店刊を愛用しているが巻末の付録暦がないので困っている 作ってもらえないだろうか?

回答

作成は可能ですがコスト的に割高になるのでお奨めできません。

随分以前から同様のご要望がございましたので、一応、平成13年頃に徳間には2009年分まで作成してお渡しし、希望者にはコピーをということにしておりますのでとりあえずその年度分まではこちらで調達できますのでよろしくお願いします。

一方、私どもの方でも同様の希望者には作成済みのものをお渡ししていたのですが昨年にデータ移行した際、消失してしまいまして現在はなく、ゆえに本年度分からはお渡しできない状態となっております。

勿論、著者ですからあえて作成しようとすれば可能ではありますが、その場合は多大なコストを頂戴しなくてはならず、現実的ではありませんのでどうしても私どもから入手したいとの向きには専門書の九曜の巻(万年暦)をお奨めする次第です。

これならば、半永久的に使用できますし、その結果も徳間刊とは形式が異なるものの同一ですから何等支障はありませんので、希望者はこちらを活用願います。

新書判のように最低でも一万部以上発行するものは雑誌の記事と同じように読み手、購入者側にとって安くて貴重な内容を享受できるよい媒体ではありますが、他方、書き手からしますとそれだからこそ書くことができる、収支が見合うわけで、もし、これを少数の希望者にこの価格で、いやこの百倍として頒布できるかというと到底採算が合わないわけです。

一応、上記のような希望者が少なからずいるので、これらも含めて毎年の「暦」的なものを企画として出してはおりますが如何せんこればかりは企業のビジネス論理の上ではかられるものですからその点ご了承くださるようお願い申し上げます。

貴重なノウハウを安く販売できるということに関しては新書判等、大手出版の社会的貢献度は絶大なものがありましてそれが即、読み手のプラスにもなることですから広く流通している毎年の暦的なベースの上で真伝のノウハウを提供できるか否かはこれまた、「運」次第になりますので当面は当方の専門書等で修学のほど何卒よろしくお願い申し上げます。


困りごと62008/02/13

ある六壬サイトでちゃんとした風水師と紹介しているのに云ってることとやってることが違うので解釈に困っている。

回答

サイトの開設者に説明をしてもらうことです。

その前に私どもの六壬易の評価ありがとうございます。
早速、本年の競馬を当てられたそうでお慶び申し上げます。

これを機に巷の六壬全般についても関心が深まりネットサーフィンをしていたところ、ある六壬サイトに突き当りそこでの風水の説明に矛盾を感じたということですね。

この相談室でも困りごと3で回答しているように風水の定義は地理であり古代の墓所の位置による開運法で、それ以上でも以下でもありません。

ご覧になったサイトでも同様のことを書いていたから安心していたらなんとそれに基づくちゃんとした風水師として紹介している人物がまさしく私どもが否定している家具や備品の移動のみで解釈している者だったでは驚かれるのも無理はありません。

流石にこればかりは私もわかりません。
サイトには風水の定義として私と同じ正しい解釈をしておきながら、それに基づくちゃんとした風水師として全くでたらめな判断をしている人物を担いでいるということはどのような心理構造をされているのか常識では計りかねるからです。

仰せの内容から私なりの推測憶測をいたしますとおそらく次のような事情ではないかと思います。

その一文が書かれてあるのが1998年前後のことですからサイト開設者も問題の風水師のことをよくお知りにならず、当時はそう云っていたか正しい古典研究者とある意味検証もしないで盲信されていたのではないでしょうか。

しかしながら、現実にそうでないでたらめなことがお分りになった以上、閲覧者に誤解を招くような紹介文は私共にとっても本当の地理風水にとっても迷惑千万ですから削除ならびに訂正するのが筋と思いますのでそのように開設者に申し出るとよいと思います。

もし、上記のような事情でしたら即刻削除するでしょうし、万一、当初よりでたらめ承知の確信犯なら望むべくもないでしょう。

とにかく奇門遁甲、四柱推命、紫微宿曜、六壬神課も巷のものは不完全な原書に拠っている為、嘘といっても過言ではありませんし、さらにその原書にさえ拠っていない後世の創作書物(戦後特に近年の中国等で粗製乱造)をネタ本としているネット世代の易者占い師達に至っては論外です。

Q&A55でも書いてるようにかつて大石という男が私に内緒で買ってもいない新書本の質疑にかこつけて版元に出版妨害を画策して露見した経緯があったように、単にちゃんとしたとかいう形容詞はあくまでもそのサイト開設者の私見に過ぎず何等の証左を伴うものでも保証のある言辞でもありませんので留意してください。

やはり、ちゃんとというからにはその根拠と原理の子細を論理的に明示しなければなりません。

あらためて説明するまでもなく、風水には家具や備品を動かす開運法はもとより存在しておりませんのでご安心ください。

まだまだ真伝には秘伝がありますので、これを機に「真伝」についての考察を深め、よりよい真伝ライフを送ってください。


困りごと72008/07/10

都内の占い師さんの鑑定料が高くて困っています。適正相場はあるでしょうか、また、鑑定業やるには都心に事務所を構えなくては駄目でしょうか?

回答

その必要はありません。

私共は占い師ではありませんので鑑定はしておりませんが概要はわかりますのでその範囲内で説明します。

まず、都内に事務所を構えてる人の大半が所有ではなく間借りですからその家賃を支払わなくてはならずこれが高額ゆえ鑑定料に上乗せされることが原因でこれらは固定費といって都心の一等地ならそれに比例してべらぼうな代金になってしまいます。

ですから顧客への末端価格はこれに利益を加えたものになり、まさしく三十分十万円とか三十万円、はては百万円などもざらであることは稀ではありませんがその中身といえば希薄なものですから通常は一件三万円くらいが上限というのが適正相場でしょう。

単に鑑定してもらう、話相手、相談相手というなら路上あるいはそれに近い形で鑑定している占い師さんなら都内でも一件数千円程度で行っているはずですからこちらを利用することをお奨めします。

また、将来、鑑定業をとお考えの場合も中身のしっかりした基礎ノウハウをお持ちでさえいれば固定費のかかる都心でなくても充分ペイできると思います。

それゆえにこれらが無い場合は甘くありませんので鑑定業はお止めになるのが賢明です。

手前味噌になりますが、私どもが著述一本で昔と貨幣価値が変わったとはいえ、億万長者を額面どおりに受け取るならばその最低ラインには到達できていて、なんとか志を貫徹できるスローライフを送っていられる立場であるのも他でもない「真伝」という中身があったればこそで、その基本は鑑定業をおやりになる場合も同じですからこの点だけは心しておくことです。

参考までに易者さん占い師さん達の多くが本を書いておりますが、百万部以上のベストセラーでも無い限り、いくら点数が多くても著者への印税収入等はたかだか知れておりますのでこれで生計が成り立つなどということはありません。

そこで鑑定となるのですが中身のない人などはどうしても箱モノにお金をかけて集客をはかるものですから利益率は極めて低く、台所は火の車ですから、サラリーマンからの転職などは最悪離婚の憂き目に遭わないとも限りませんので中身が無い場合は決して行ってはいけません。

その証拠といってはなんですが投資詐欺等、詐欺全般の手口の舞台をみてください。

例外なく都心の一等地に事務所を構えているでしょう。
これが箱モノなのです。

詐欺的な手法を行う者が都心中心にオフィスを構えることはあってもその逆はありません。

なぜなら、地方では箱モノの価値がありませんから中身一本で勝負しなくてはならず、もとより中身のない詐欺そのものが成立しないからです。

ですから、顧客としての場合は都心の占い師さんにこだわらず、一方、鑑定業を行う場合には中身をしっかり身につけて間違っても箱モノに依存しなければならない占い師さんのような悪循環にだけは陥らないことです。

参考にしてください。


困りごと82009/05/09

鑑定業もタレントさんみたいに芸能事務所に所属すれば問題ありませんか?

回答

難しいと思います。

困りごと7の回答にも関連するのですが仮に大手の有力なプロダクションに所属したとしましょう。
そうすれば各界に影響力があるので出版や講習等、占い師さんとしての引き合いも人によってはある程度可能かもしれません。

しかし、プロダクション(事務所)というのはもともとがピンハネ産業ですから占い師さんと顧客が直結していない段階の素人さんがいきなり大手舞台に出されたとしてもまともな仕事は不可能ですからせいぜい誰でも代用できる売り子的な立場に甘んじるしかありません。

つまり、渋谷、原宿のように人がひっきりなしに来るところにお店を貸してくれるようなものです。
当然、地代が高いので鑑定料も高くなりますが人の多さがそれをカバーしてくれますし、顧客のほうもおみくじ程度の感覚で占い師さんに期待しているわけではないので実働時間が大変なだけで占い師さんも能力を必要としませんのでこの点は楽かもしれません。

拠って、集金というかあがりはそこそこ大金を稼げるようにはなりますが本当の問題はここからなのです。

ピンハネ産業ですから事務所なしでは顧客がつかない占い師さんの場合はなおさらのこと売り上げのほとんどを回収してゆきますので手元に残る手取収入は極めてわずかなものとなってしまいます。

大物歌手やタレントさんも一部を除いて多かれ少なかれこの過程を経てきてるものですが彼らの場合はもともとの才能があって顧客と直結できるようになっておりますのである程度売れた段階でピンハネも極端なものにはなりませんし、一定の契約期間がすぎると独立できて収入をモノにできます。

もし、あなたが確固たる才能実力をお持ちだけれども機会だけがというのならそれも有効な手立てとは思います。
なぜなら、ピンハネが激しければ直ちに独立すれば顧客と直結している強みがあるわけでその後も安定した経済状況が保てるからです。

しかしながらキャリアもノウハウも確立していないとなればこれは地獄への一丁目以外の何ものでもありません。

独立もできない(すれば収入はゼロ)所属していれば単純労働の過労(代用可の売り子)を強いられ、売上のほとんどを持っていかれるでは、それこそコンビニにでも勤めているほうがよほど安定しているということになるわけで、既にご家族がいらっしゃるのなら経済苦から奥様は去っていくでしょう。

ですから、何をおやりにするにしても本末転倒にならないことを心がけることが肝要と申し上げている次第です。

まず、能力(商品)があって商いが始まるのですからここを抜きにしてしまうと単なる詐欺となってしまいますし、その結果というのは惨憺たるものになってしまいます。

しっかりしたモノさえあれば名より実をとれます。

人にはどれだれの土地が必要かはトルストイの民話だと思いますが、今の日本では一億円の換金可能資産と無借金と4、50坪程度の土地家屋と一億円程度の有価証券くらいが質素なものでしょうし、実とはこの程度の確保を指します。

これらをふまえた上で、よりよい未来を構築していく努力をされたら問題ないと思います。


困りごと92010/12/02

移転や日常の移動等で活用したいのですが書籍での修学は難しいので、鑑定(方位)をしていただけないでしょうか

回答

以前から案内書にてそのようなご希望に沿う形でオーダーの作盤を請け負っております。
ご指定の日時の遁甲盤を作成して更にどの方位がよいかコメントしておりますので実質、これで鑑定の代用にはなると思います。

ただ、これだと大半の顧客の希望である「今月の吉方を選んで教えてくれ」的なご要望を満たすことができませんでしたのでその点、不便をおかけしたと思います。

そういったご希望をふまえまして現在はそのどちらであってもご指定の作盤に吉方を記して送付しておりますので活用してください。

また、これまで多くの遁甲を試してみたものの矛盾だらけであったとの件についてもコメントいたします。

本当の奇門遁甲は吉方は必ず吉門であり、吉格であり、天地干が吉の組み合わせになっているということです。

現存する原書やそれに基づくか否かに関わらず遁甲家と称する方達の作盤ではどうなっているか検証してみてください。
天地は凶、八門は凶、さらに四十格が凶格であってもなぜか免責されるような理屈となっているものがほとんどだと思います。

原点の原書には、また、古の八門遁甲を記述した一文にはこのようなことは書いてありません。

極めてシンプルに「吉門の方位へ行けば吉、凶門の方位へゆけば凶」と書いてあるだけであり、これが真伝なのです。

なぜ、他の遁甲家達では吉方なのに凶格凶門となるのかあるいはその逆になるのかですが、その最大の原因は何を隠そう「暦」なのです。

私共の「真伝暦」を用いれば吉方は吉格、吉門となりますがこの暦が違えば、間違っていればいくらノウハウが正しくても結論は狂ってしまうわけです。

もっとも、巷間の遁甲はその上に立つノウハウも間違いではありますが.......。

近く、真義、奥義、密義購入者を対象にその秘を開示する準備をしているところですが、以前にも申し上げましたように駆け込み者の中には勘違いをされているかたが多く、ご遠慮いただいた方も少なからずおられました。

修学の意志の確認のための管理なのですが、途中リタイヤされた方がその期間分をまとめて追納するからと仰られたのなんかがその典型で、その他も大なり小なりそのような意向でした。

そこで、真伝のくだりについてもう一度、黄石公と張良のエピソードに立ち返っていただければと思います。

黄石公は朝一番で来いと命じましたが二度の朝一番では間にあいませんでした。
そこで張良は朝ではなく、真夜中からずっと朝まで立ちつくしていたのです。

そして、約束を履行することができたのです。
約束というものはこういうものです。

では約束が履行できなくても向こう一年間ずっと真夜中に立っていればそれは同じとなり帳消しとなるかというと、これは、なりません。

黄石公が試したのは忍耐力ではなく、どうしても約束を守りたいという強い意志があるか否かだったからです。

ちなみに私などは張良のような賢者ではありませんからこのたとえでいえば一年前の真夜中から立っておりました次第です。

奇門遁甲、とりわけ「真伝」を学ぶ場合はこの点に留意していただけたら幸甚です。


困りごと102011/06/28

困りごと3の文中にあるような当たる理論だけを取捨選択して抽出なんてできるの

回答

仰せの通り、できません。
というか不可能です。
原書を複数読破してそれぞれの良いとこ取りをすればその数が多ければ多いほど完璧な完成された体系ができるかのような錯覚や錯誤をしがちですが、よくよく考えてみれば誰でもわかることです。
私がこの文を書いた趣旨はそれが可能と認めているものではなく、そのような主張をしていた人物がいたというにすぎません。

当然、不可能であり得ないことは判っておりましたがこの時点ではその主張以前の問題で論理が破綻していることに対する矛盾をご質問者はじめお困りの方たちに説明さしあげた次第です。

この度、その先のご指摘がありましたので改めてこの点についてご説明いたします。

例えば四柱推命でみてみましょう。
その命式の求め方から判断の方法に至るまでそれぞれが異なる複数の原書を収集して上記のような手法で取捨選択しようとしてもできません。
それは、理論というのは各部で単独独立しているものではなく、因果律のようなはじめの決まりごとに基づいて、それを前提としてピラミッドのように構築されていき、最後にその頂点に求める答えがあるように作られているものでありまして、学術である限り、いかなる分野の研究でもこの範疇の域を超えたり逸脱することはありません。

話を戻しまして、四柱推命というのは暦から八字、大運を求め、その命式をもとに五行の力量のバランスを知り、そのバランスによって格が決まり、その格によって各五行の吉凶が決まります。

この吉凶を命式(八字大運)に照らし合わせて初めて判断ができるという仕組みです。
また、格を求めるには生年生月生日生時の四つの柱のデータが不可欠ですので巷間に知られている生時抜きのものは四柱推命ではありませんから本来の四柱推命としての判断は何一つ不可能ということです。

遁甲その他も同様ですが一番分かり易いのが四柱推命です。
これに取りあげた人物の取捨選択の方法というのはおそらく次のようなものだと思います。

もともとの八字の原理ではなく、戦後流行した生時抜きの三柱推命の原書?を中国台湾香港韓国あたりから掻き集め、十二運や神殺、変通星、空亡(天冲殺)等でそれぞれの本に書いてある象意等と照らし合わせ、これまた生時不明の有名人等の事績と照らし合わせてこれは当たる、これは当たらないを積み上げていったものでしょう。

たとえば、日干と月支の関係の十二運で性格と運勢をみて当たってると思うと、それを採用し、各柱の空亡や地支間の合冲等の関係でも同様にです。

しかし、正しいを標榜している以上、おおもとの四柱推命とは無縁の三柱推命を採択するのは論外であることは云うまでもなく、これは研究とは全く無縁の代物です。

本来の理論に基づく原書研究をしようとすれば、残念ながら複数の理論を取捨選択は不可能で、最終的にはどの理論体系を選ぶかしか正解がないことに気付かれる筈です。

大体、この種の人たちは因果律、前提主義に基づいておりませんから極端な話、「暦」が間違ってても当たっていればそれでよいとか、その間違いの暦にすら基づかないでも当たっていればよしと大真面目に主張するわけですから、正直、こういう人たちの事例に対して私共でコメントすることはないのが本当のところです。

もっと簡単にいうと、こういう人たちが誰かの判断を各種暦を用いた占法で行うとします。
勿論、被占者の生年月日をもとに占うのですがそのデータが間違っていても当たっていればその時点でその間違ったデータが被占者の本当の生年月日に変わるという論理です。

こうなるともはや学術ではありませんからはっきりいって霊能者としかいいようがありません。
霊能であれば、面倒な研究も裏どりも一切必要なく、なんでもありですからすべて神のお告げで片づけられますので私見を云わせていただければこのような人たちは早く霊能の世界へ転職されるほうがよいと思います。

余談ですが霊能全般で以前から素朴な疑問がありました。
亡くなった人たちの霊と交信できるということは考古学、未解決事件の謎等は一切、無くなる筈ですから世界で必死に研究している学者等の必要もなくなると思うのですが、一向にそれらにその能力が発揮された追試された客観例というのは聞きませんし、解読不可能な古代文字等は勿論、文字を持たなかった時代の文明の解析もできたとは聞いておりません。

それともうひとつ疑問なのは世界中の有史以来のあらゆる世代の死者と交信できるのになぜか呼び出された人たちはすべて現代の日本語で喋ることです。

我々、霊能力という特殊な力を持たない者にとって、死者のネイティブ発言はぜひとも聞いてみたいと思いますし、また、それが、唯一、客観的に霊との交信が可能なことを立証してくれる証左になるものだと思います。

拠って、学術においては当たるものだけを取捨選択して体系を構築できるということはあり得ないということお判りいただけたものと思います。
「学問に王道なし」、研究されるなら地道にコツコツ積み上げてください。
研究とはそういうものです。


困りごと112012/01/30

ウィキぺディアの奇門遁甲に標準的な原典は遁甲演義とありますが本当ですか

回答

間違いです。

仰せのご意見を少なからず頂戴しておりましたので私共も閲覧してみました。

一読して、論外の内容でしたのでどなたが記述しているのかみてみると、このページのQ&A困りごとの対象になっている方の関係者のようでしたので案の定と思った次第です。

要するに、こういうことだと思います。

私共はQ&A41で武田考玄、内藤文穏、原書研究者を対象にその矛盾等をある意味暴くことになる質問の見本を書きました。

いずれも、主観を廃し、客観的にかつ、個人に言及することなく学説批判に徹しているものでどうやっても反駁不可能なことを検証した上でのことです。

あれから数年、お読みになられた方々が当事者達にその質問を幾度となくぶつけられたのでしょう。

もともと、私共は反駁される余地が一点でもあれば学説批判等はしないスタンスですし、これが相手に対する最大の礼儀というものですから、当然のなりゆきで相手方は周章狼狽されたことは容易に想像がつきます。

問題はここからで、人として本物であればそれを認めた上での行為になるのですが、もとより、不純な動機で始めた者は見苦しい恥の上塗りをするしかなく、この度のウィキぺディアの記述は後者の典型といえるでしょう。

多くの人は誤解しているようですが、このウィキぺディアというのは何らかの保証を担保されている百科事典的なものでも裁判の判例的なものでもなく、日本でいうところの広辞苑のような事実関係において責任を負うものではない、単なる掲示板のようなものに過ぎません。

特に、日本は顕著でそのレベルが低下しているところに加えて、その中でも最低のレベルに位置するのがこの奇門遁甲の記述といえるでしょう。

但し、この対象は、あくまで主導的に間違いを書いた人物に対してのもので、これらに対して反論ノート等で適切な諌めをしている方達の記載内容を指すものでないことをお断りしておきます。

では、前置きはこのくらいにして、本題に入ります。

以下、間違いの主張への是正です。

判り易いように、ウィキの間違いの記述の後に反論として述べております。

1、四庫全書に遁甲演義があるのでこれが原典、また遁甲には九宮がなかった

反論

原典の煙波鈞には九宮の記載があります。
数世紀後の書物の遁甲演義にないから存在しないということは、煙波鈞を原典としないということになります。

そうすると、一切の前提が存在しなくなるので奇門遁甲自体消滅します。
拠って、奇門遁甲の構成要素は干門宮星神、当然、九宮は存在します。

参考までに気学の九星という呼称は後世のこじつけで正しくはその由来からも判る通り奇門遁甲の九宮です。

2、遁甲演義の局数は立向の一種類のみで60年一局、60月1局、三日1局、60時1局で坐山は存在しない、また、原典の煙波鈞と遁甲演義の時盤が一致している

反論

一致しておりません。

確かに、真伝でいうところの坐山時盤の局数は一致しているものの、遁甲演義では不要というか存在しない筈の十時一局の局数が煙波鈞にはあります。これは、なぜ、必要なのか、存在しているのかでこの点では一致しておりません。

また、節気というものは時にのみ存在するものではなく、日そのものが主体です。
ですから、日を抜きにした節気というものは存在せず、日と時は必ずペアのセットとして暦は循環します。

年月に陰局のみとか採用しているのは、暦の紀元が曖昧なため、毎年訪れる冬至と夏至のような陰陽局の切替の年がわからないこと、あるいは決めかねていることが原因で人為的に創作されたにすぎません。

ですから、本来は年月にも陰陽遁があるわけで、その意味で年月が陰局のみということは真伝にはありません。

仮に百歩譲って、60単位で局を採るとしましょう。
そうすると、なぜ、時とペアの日の局数だけが金函玉鏡の三日単位になるのでしょうか?

それでも、年も60年一局ではなく、三年一局というのなら、ペア構成の観点からは不十分とはいえ、まだ、判りますが、日の局数のみというのはあらゆる角度から検証しても成り立ちません。

ここから、判明することは、要するに遁甲演義なるものは、後世の占い師が簡略化しようと試み、流行していた日盤のみ、日の吉凶を看る金函玉鏡を採りいれた、云うなれば論理も整合性も顧みないで単にパッチワーク的に製造した産物にすぎないということだけです。

拠って、遁甲に立向、坐山の二つがあることは厳然たる事実です。

金函玉鏡は奇門遁甲とは無関係の占術で亜流の亜流にすぎません。
なぜ、日の局数のみ、60日ではなく、三日なのか整合性のある説明はできない筈です。

3、水滸伝等に排宮八卦の記述があるのは、奇門遁甲に九宮がない証左である。

反論

事実は全く逆で、あるという証左です。

九宮というものの運行は二つのものがあります。
一つは、排宮、一つは飛宮です。

前者は九宮を八方位の周囲に回して配置するもの、後者は気学等で知られているような順で配置するものです。

奇門遁甲というのは、この二つが背反しているものではなく、二つの方法が論理的矛盾なく融合して作盤される仕組みになっております。

たとえば、局数は九宮が源になっており、干もすべて数となり、最初は地盤を飛宮で配置します。

次に、天盤を地盤の周囲の数(干)を回して配置します。

これを排宮といいます。

この天干、地干の元となったのが装いを変えた九宮ということです。
奇門遁甲ではこの天地干の関係を天の時といい、八門を定位に掛けて求める易卦を地の利といいます。

この両者で吉凶をみるのですが、水滸伝の記述の排宮八卦というのはまさにこの仕組みのことであり、奇門遁甲、八門遁甲がかなり古い時代に存在していたということが判ると思います。

こういったところからも遁甲演義なる後世のつぎはぎだらけの書物がこと奇門遁甲の原典という観点からは論外中の論外であることがお判りいただけたと思います。

4、武田考玄の遁甲の判断に四柱の喜忌を使うのは透派の造作法にある

反論

ありません。

そもそも、透派の何という書物に書かれてあるのか判りませんが、地干に推命の喜忌を採りいれるというのが根拠なら、天地干の組み合わせの吉凶に採用するということにはなっておりませんし、また、その優先順位もあくまで補助的ということになっておりますので、この意味からも、武田考玄が天地干の吉凶より、推命の喜忌が優先するとした論理は透派にはありません。

強いて推測するなら、四柱推命の講座にウェィトを置いていた同氏が一過性の奇門遁甲より、顧客に対して推命にシフトをというビジネス上の判断で行ったと私共は思っています

とにかく、どのような理由、根拠であろうとも、確実なことは透派はもとより、いずれの原書にも上記のような判断は奇門遁甲には存在しないということです。

5、内藤文穏の遁甲(挨星卦)は古来の旋式遁甲の復元である

反論

違います

同氏の挨星卦なるものは、気学の九宮盤のみを活用日時の干支の位置にある九宮を取り出して中宮において天盤とし、順に回すか、逆に回すかのみで各方位の上下の九宮を易卦に見立てて判断する方法です。

旋式遁甲というのは、先に水滸伝で述べた排宮八卦の遁甲のことですから、全く無関係の代物ですし、また、挨星といっても、これまた、透派や諸外国のものでもありません

唯一、気学家の高島氏がほぼ同じ方法を採用していたのみです。

拠って、内藤文穏が透派(張氏)の弟子であったこと、台湾等で諸派を学んだことは事実としても、最終的に研究の集大成と謳って発表した挨星卦は気学家の高島氏とほぼ同じものであったということ以外、いずれの門派とも原書とも無縁無関係であると同時に、奇門遁甲とも無縁無関係な代物であるということです。

6、日本で遁甲演義を採用している者が正しい

既に述べたように、このウィキぺディアの記述者の狙いというのはまさにこれだったのでしょう。

本音は、武田、内藤、原書研究者(後に間違い発覚)への学説批判の質問に答えられないことから、好き勝手に書ける媒体で言い訳に奔走したというところでしょう。

但し、これらは主観の世界ではないのですから、無理なものは無理、不可能なものは不可能ということを悟るよう、教示してあげてください。

ちなみに私共はご指摘があって初めてウィキを見た次第で、ここへの書き込み等はしておりませんし、また、今後も関わろうとは思いません。

とにかく、間違い、嘘は書かない、ウィキもこれを基準にしないと単なる掲示板になり下がってしまい、本来の趣旨から逸脱してしまうことを危惧しております。